青山パートナーズ紹介記事「日本の会計人」

日本の会計「青山パートナーズ紹介記事」TACNEWS 2006年11月号より(1/3)

日本の会計人

 

馳 雅樹

青山パートナーズ会計事務所
代表取締役・代表パートナー 公認会計士・税理士

馳 雅樹

1963年10月生まれ、東京都出身

1987年3月:中央大学商学部会計学科卒業。同年9月:公認会計士2次試験合格。同年10月:アーサーアンダーセン(当時の英和監査法人、現:あずさ監査法人)入所。

1994年1月:都内大手会計事務所入所。

2000年11月:坂巻・馳会計事務所設立。

2001年8月:青山パートナーズ設立、代表取締役就任、現在に至る。 趣味:料理と旅行 料理は何でも。旅行はアジア。

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会計事務所は組織価値(=フィロソフィーやカルチャー)や人的資産、顧客資産のように数字にならないものが大切です。

 

公認会計士試験を目指している受験生は、合格のその先に、どのような未来を想像しているのだろうか。数年前までは「会計士=監査法人」と言われ、合格後はまず監査法人に勤務し、実務経験を積んだ後、進路を決めるスタイルが一般的だった。ところが今日、コンプライアンスとコーポレート・ガバナンスの徹底が叫ばれる中、企業に不可欠なプロフェッショナルとして、その存在が再認識され始めた。会計士の進む道も、監査法人と個人事務所開業だけでなく、一般企業でも引く手あまたとなった。今回は公認会計士の新たな組織像を描き、その構築に邁進する公認会計士・税理士の馳雅樹氏にスポットを当ててみた。

 

 

大学のサークルで受験勉強開始

青山パートナーズ会計事務所は、大学時代の学友であった二人の会計人、馳雅樹氏と坂巻靖哲氏が立ち上げた事務所である。公認会計士となった二人が考えるベンチャー支援サービスを実現するために作った共同事務所であり、その志に賛同した延平昌弥氏が後から加わって、3名のパートナー体制で幅広い業務に対応している。今回は、代表パートナーである馳雅樹氏の話しから、共同事務所の魅力を探っていきたい。

 

 馳氏が公認会計士を目指そうと考えたのは高校2年生のとき。かなり早い段階で決めていたのは、同級生の親戚に公認会計士がいて、企業のためのドクターという良いイメージを持っていたためだった。法律系より経済系資格の方が適性があると考えた馳氏は、会計士を目指すべく中央大学商学部へと進学を決めた。

 

 中央大学商学部会計学科に入学した馳氏は、迷わず1年の頭から会計士受験サークルに入部する。中央大学には当時大学が認める老舗の会計士受験サークルが4つあり、それぞれの団体が競争して合格者を輩出していた。

 

 馳氏の所属した白門会では5月の新人合宿で先輩から簿記を教えてもらい、6月の日商簿記2級・3級に合格するのが慣例となっていた。そして、秋には簿記1級に受かるのが会計士への近道と言われていた。しかし、馳氏の同級生で秋の1級に受かった者はわずか4名。その中に、別のサークルに所属していた坂巻氏の名前があった。

 

「坂巻とは大学1年からの知りあいで、妻よりも長いつきあいです。彼が簿記1級に合格した時に、優秀なヤツがいるということで仲間内で有名になりました。その後、一緒に図書室で勉強したり、受験指導校に通ったりと生活サイクルが一緒で共に行動するようになり、坂巻の人間性がわかるようになりました。2年の秋になるとゼミ選びが始まり、同じ教授のゼミを受けています」

 そして、坂巻氏は大学4年時に現役で、馳氏は卒業の年に公認会計士2次試験に合格した。

 

 

研修制度に惹かれアーサーアンダーセンに入所

当時の合格者の就職先は、大手監査法人の中でも国内系が多く、外資系に進む人はそれほど多くなかった。そんな中で、先に合格した坂巻氏も、そして馳氏もアーサーアンダーセンを選択したのである。

 

「国内系大手監査法人の先輩からも随分と声をかけていただきました。私は先輩がいない環境で、自分で努力せざるを得ない状況に敢えて身を置きたかったのです。

 

 また、国内での監査法人の合併前ですから、アンダーセン本体直系の事務所であり、仕事のやり方もカルチャーもストレートに繁栄されていました。当時、日本でも入社した1年後、全員シカゴの研修センターで行われる2週間の研修に参加できるという制度がありました。これが私にとってたいへんな魅力でした。研修制度がアンダーセンを選んだ大きな理由の一つだったのです」

 

 今はなきアーサーアンダーセンだが、そのシカゴ研修センターは、カレッジを丸ごと買い取り、新入社員教育から、シニア、マネージャーとステージ毎に、また業務別にもトレーニングを行う施設として名高い存在だったのである。アンダーセンのスタッフはここでの研修体験によって、感動を覚えながら実務を身に付けることができた。これが、馳氏の目にはかなり魅力的に映ったのである。その時の経験から、馳氏は自分で事務所を始めるなら研修制度を充実させようと強く思ったのである。

 

 さて、馳氏は受験中、独立と監査法人勤務の両方の方向性を模索していた。
「高校時代に考えていたのは自分の事務所を持つということです。ただアンダーセンに入ってからは組織の中で頑張ろうという気持ちで臨みました。仕事を覚えるため、独立のためという考えはなかったですね。

 

 そんな私の気持ちに変化が生じたのは、4~5年経った頃です。現場で比較的責任ある立場となり、株式公開の仕事をするようになりました。それまでの大企業の役員クラスではなく、オーナー経営者の方と向き合って話したとき、その迫力と真剣さに目から鱗が落ちたのです。それはこれまでと種類の違う真剣さでした。そこに自分の求めるものがあると確信したのです」

 

 この体験が、独立へと踏み出す強いバネとなった。監査法人で行うのは監査業務がメイン。けれども、馳氏はクライアントが希望しているのはそれ以外のサービス、いわゆるアドバイスやコンサルティングであるということを、多くの経営者の口から聞いてしまったのだ。

 

「それなら、コンサルティングをメイン業務としてやってみたい」と馳氏は強く感じたのである。
「IPO(上場)支援に魅力を感じていたこと、その経営者からものすごく刺激をうけたこと。この二つが決定的でした。とすればベンチャーに対して入口の所で必要になるサービスは何か。それは税務だったです。

 

 税務に関していえば、当時アンダーセンでは監査の際にも必ずタックスレビューがありました。監査プロセスの中でもやはり税金は非常に重要な課題の一つで、税務部門のスタッフが立ち会い、税金計算において問題がないかどうかアドバイスとチェックをするのです。この税務チームのアドバイスを会社側は真剣に聞いていました。税務の威力はすごいなと思いましたね。その税務は、ベンチャー支援に不可欠に思えました。

 

 そしてベンチャー支援をしたいのなら、ベンチャーのオーナー経営者と向き合う職場を体験しなければできません。そこで監査業務にピリオドを打ち、事務所を移ろうと考えたのです」

 

 こうして馳氏は、6年4カ月勤務したアンダーセンを辞める決意をした。馳氏が退職の意向を伝えると、何かと相談をしあっていた坂巻氏も退職を決意。同時に退職することになったのである。 >>次のページへ

 

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